A・猪木vs B・ロビンソン取材㊙メモ

ルー・テーズのマネジャーをやれ!

☆welcome Mr.Lou Thez……Aloysius Martin Thezs☆ 1975年12月初旬、”鉄人”ルー・テーズを迎えに羽田空港に行った。11日、蔵前国技館において、「A・猪木 vs B・ロビンソン戦」が決まっていて、そのウィットネスとして、ルー・テーズ、カール・ゴッチを立てていた。主催の新日本プロレス、そして放映局のテレビ朝日のプランであり、我がトウスポもいっちょ噛みしていたのだ。もちろん上司の(故)桜井康雄さんもアイデアの中心にいたはずだ。私は桜井さんに呼ばれたれて、言われた。「今回はテーズのマネジャーで動いてくれ。新日本のツアーを追って、テーズのコメントを送ってくれ」。テーズは大一番の ウィットネス であると共に、トウスポは特別評論家も依頼していた。後日、ギャラの百万円は私の手で。当時、カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦も行われていたので、こちらの評論もお願いすることになっていた。羽田でテーズにあった。「トウスポの記者ですが、今回はあなたのマネジャー役も兼ねています。よろしく」「OK、こちらこそよろしく」

☆やっぱり鉄人だ☆ 来日の翌日は「トレーニングしたい」で、新日本の上野毛の道場へ。さっと上半身裸になると、マイナス角度の腹筋を始めた。引退して結構な時間が経っていたのだが、鉄人ぶりは相変わらずだった。そして翌日、早朝、名古屋へ向かうため、宿舎の京王プラザホテルへ迎えに行った。ロビーで待っていると、ワイシャツ一枚の軽装でテーズはやってきた。外へ出て、「ン⁉ この格好じゃいかんな。言ってくれなくちゃ」とかまされた。「sorry little bit cool toay」。そうだった。マネジャー役でもあったのだ。

☆最強座談会☆ 12月9日、名古屋でどえりゃ~座談会を敢行した。この日、カール・ゴッチが名古屋の国際ホテルに到着していた。11日のためのあおり企画で、ルー・テーズ、カール・ゴッチ、それにB・ロビンソンを揃えて座談会をやった。テーズとゴッチを立会人にしたのは、猪木もロビンソンも一つ間違えると、セメントに走る危険性を持っていたので、二人の目が必要だったのかもしれない。こんなことは確証の取りようもないのだが。会場は名古屋国際ホテル近くのすき焼き屋。その日の試合後だから、午後の10時くらいだったか。司会は桜井康雄さん、こっちは雑用係&通訳。ゴッチとテーズが対等な感じで話し、それに正座をしたロビンソンがビールのお酌をしながら、相づち、といった感じだった。「この前、シカゴで空手のオープン戦に出たんだけど、大したことなかったな」とゴッチが言えば、テーズは自らのセメント・マッチを語りだす。頼むから猪木の話に絞ってくれ。ゴッチは話が盛り上がると、豪快に笑った。歯がきれいだった。……思い出した。ゴッチは日本プロレス時代に来日していて、その頃、奥歯が虫歯になって痛みが出たので歯医者へ行った。「虫歯だから抜いてくれ」と。歯医者は「Ok」と言って、素早く問題の歯を抜いて、「finish!」と。しかしゴッチは「No、No!!」と。「歯が生きているから虫歯になる。この際、全部抜いて、入れ歯にしたい」「じゃ、また日を改めて」と歯医者。ゴッチは「No、No!! 今やってくれ」。歯医者はびびりながらも、何とか全摘に及んだ。ゴッチは目的を敢行したが、しばらく顔が二倍くらいに腫れていたという。……ゴッチ、テーズの話は弾んだ。「猪木の寝技、返し技、巧妙にかけてくる関節技は要注意だ」とポイントが絞られた。ロビンソンは神妙に聞き入っていた。凄い夜だった。

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