そりゃ反則!? 韓国取材裏の裏

【スパイもどき?】

1975年~1980年……おそらく、80年に近い年の事だったと思う。五月のゴールデンウィークに、新日本プロレスの韓国遠征があった。NET(現テレビ朝日)の放送も予定されていたので、第二運動部部長で我が上司の(故)桜井康雄さんが早々と訪韓の予定を立てていた。当然である。しかし、直前になって、「都合が悪くなった。白石、ピンチヒッター頼めないか?」と打診された。何か、ご家族の病気で大きな手術の予定が入ってしまったようだった。どうやら、心臓病を抱えていた娘さんのことらしかった。こっちは身が軽い。海外取材はいつでもウエルカム。二つ返事でOKした。だが、問題があった。ゴールデンウイークに韓国。バブル真っ只中、韓国は人気路線。男性専科ではあったが。飛行機の切符はどこへを探しても無い。どうしたものか? 桜井さんの切符はどこかのツアーに潜り込んだもので、人の変更は不可。トウスポ御用達の旅行代理店のN氏と相談を重ねた。「手が無いことも無いですね」「ほう!?」「白石さんは桜井さんのパスポートを持って行くんですよ。それで空港で旅行社の係員にパスポートを渡し、チェックインをしてもらう。チケットを持って、通関では白石さん本人のパスポート……当たり前ですが。白石さんが間違えると大変」。これで難なく韓国に入り、取材をして三日後に日本に戻って来た。しかし、何か問題が起きればえらいことだったろう。例えば飛行機事故に遭遇したら、乗っていない桜井さんが搭乗者名簿として発表されてしまう。韓国滞在中、白石孝次特派員で紙面を飾っていた。デリケート問題に触れることはなかったので、”いかさま入国”はほじくられることはなかったのだろう。

【空港で運び屋探し】

1970年代の韓国は情報の送りに大変苦労した。Faxさえ一般的でなかった時代、原稿を送るのは電話が主流。だが、デリケートな表現はリスクが伴った。盗聴は朝飯前。通話中に盗聴が入ると、トーンがダウンするのですぐ分かった。これがきたら、話をどうでも良いものに切り替えた。写真は通信社のラインで送ってもらう。しかし、これとて必ず南山のチェックが入った。南山はKCIAの本部である。しかし、原稿と写真を日本へ無傷で送る奥の手はあった。ブツをコンパクトにして、空港へ行って、運び屋を探したのだ。真面目そうな観光客に当たりを付け、事情をきちんと話して、軽いギャラを提示。こちらは日本の新聞社なので、100パーセントに近い確率で、成立した。後は運び屋さんが乗る便名と連絡先を日本に伝えれば良かった。しかし、これとて、南山を通過していない情報を日本に送っていたわけだから、こじれれば、無事では済まなかったかもしれない。

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