谷津嘉章さんと再会す

令和元年9月最後の土曜日。気になっていた谷津嘉章さんの見舞いに行った。後輩のW氏に情報を流してもらった。電話番号と入院先。地元群馬県のT市にあるHリハビリ病院。午前中は、PokapokaポンコツBlues Clubの演奏会。練馬区がらみの地域イベントの一環。客は少なかったが、即席バンドとしては、まずまずの出来だった……かな。群馬のT市へは午後から出かけた。大宮から新幹線。T市からタクシー。20分。★病院の受付で、「谷津さんにお会いしに」というと、にこやかに部屋番を告げてくれた。まだまだ有名人じゃないか。エレベーターで目的階で降りる。そこは食堂兼くつろぎスペースになっていた。部屋へ向かおうとして、一歩踏み出すと、テレビのラグビー中継にかぶりついている、ガタイの良い男が目に飛び込んで来た。いた、1986年のソウル・アジア大会くらいまで、密に付き合っていた、取材対象である。我が家にも何度も来て、飲んだり、食べたり、その後、しばらく会うことがなかった。★4、5年前だったか、谷津氏が高田の馬場で焼き肉屋を始めた、というので早速行って旧交を温めた。開店祝いを贈ったり、三回くらい飲みに行った。今度は家族を連れて、と台風の近づく中、行ったのだが、閉まっていた。やはり台風でと思ったが、よく見ると張り紙が。え~閉店なのか。もう!? だった。★「頭の中で煩悩が受付ろうろしていて、集中しきれんのですよ」。谷津節健在なり。右足は膝下から切除されていた。義足を付けたリハビリもかなり順調そうであった。★「四ヵ月ここにいますよ。お陰で暑い夏を経験しませんでした。慣れました。気持ちもだいぶ前向きになってきました。最初は何が何だか、来たら、切ります、だからね。やらなければ、どんどん短くなるだけ。考えている時間もありませんでした」。時折、笑みも出た。こちらもちょっと気楽になった。テレビでは「日本vsアイルランド」戦。試合の分析をしたり、昔話をしたり、昔の距離に戻った感じだった。★また、手術の話になった。「痛くてさあ。術後、麻酔は5時間とか聞かされていたけど、ずっと痛かった」と谷津氏。全身麻酔が覚めてらってこと。「NO、NO! 全身じゃなくて部分だったんですよ」。エッ⁉ 今時、それなないでしょ。じゃ、何してるか、ずっと分かってたってこと? 「そう。脊髄に一発。谷津さんは体が大きいから、薬の量が難しいって。そりゃないよな」。麻酔薬の量と言えば、力道山の死のきっかけとなった場面で、「力道山は体が大きかったので、通常の2倍の薬を使った」との医者の裁判証言を思い出した。時代が違うだろう! ★ともかく、昔の盲腸の手術のごときで、下半身だけ覚醒させる部分麻酔によって、敢行された。「何しているか、全部分かりました。まずレーザーで皮膚から切っていくんですが、皮膚が焦げて、凄い臭いがしました。お次は骨の切断が大変そうで、のこぎりの音、槌で叩く音……えらい経験でしたよ」。★糖尿病は遺伝だそうだ。「プロの格闘家ですからね。食事制限は無理。食べてトレーニング。これしかなかったから、しょうがないですよね」。退院したら、復帰に向けて活動するという。応援するよ。また、江古田あたりで復帰祝をやりましょう。「練馬に行きますから、お願いします」。「日本vsアイルランド」戦の後半戦の開始とともに、席を立った。エレベーターまで見送ってくれた。足取りは軽そうだった。★明けて日曜日。谷津氏よりショートメールが来た。「昨日は遠路遥々お越しください頂き有難う御座いました。切断と謂う事で一時は戸惑いと困惑で意気消沈してましたが、皆様方の励ましのお言葉で、今はポジティブになれました! 新しい姿に生まれ変わった今、更なる気持ちで邁進していく覚悟です。ご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

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