八田一朗会長、お世話になりました

☆八田さんは明快な怪人☆ 記者生活の駆け出し始めは、アマチュアスポーツ担当。というより、野球とギャンブル以外のスポーツを担当する第二運動部では、まずはプロレス、次は相撲とボクシング、そして当時のアマチュアスポーツといえば、なんといってもバレーボールであった。時々、柔道。私は先輩方が扱わないジャンル、ビッグイベントの際のお手伝い。「取り合えず、アマレス行って来いや」と桜井デスクの号令で、アマレスに突入した。「八田会長、よろしくお願いします」と仁義を切りに行った。八田さんはご機嫌だった。大の酒好き。朝から飲んでる。昼間はずっとほろ酔い。機嫌が良い。こんなところは当時の井上博社長とそっくりで、初対面から、何か親近感のようなものがあった。「おー来たね。こっちもよろしくだ。アマレスは四年に一度、オリンピックの年にしか注目されない。メダルに関係するからな。それじゃ、良い人材を集めにくい。頼むよ!」と気合を入れられた。私は少々腰を引きながら、八田会長に物を申した。「会長、実のところ、アマレスのルールがよく分かっていないのですが……」「君何を言っとるんだ。格闘技じゃないか。強い者が上、弱い者が下なんだよ。男女でもそうじゃろ?」「ン⁉ ハイ、よくわかりました」。この人は面白い、と感じた。以後、事あるごとに八田さんのそばで話を聴くことになった。

☆怪人余話☆ 八田会長。 1946年4月~83年4月 の間、日本のレスリングを牽引し続けた。その奇抜な指導法は数々の逸話を残している。私は、八田イズムを浴びまくった、花原勉さんに色々とうかがったことがある。花原さんは言わずと知れた東京五輪のグレコ52キロ級金メダリストで、元日体大教授だ。以下は花原さんから聴いた話だ。※東京オリンピックの前の強化合宿でブルガリアへ行った。横浜から船で出発。ソ連領から飛行機を乗り継いで、ブルガリアに入った。ホテルに着いて秤に乗ると、1キロオーバー。ありゃ~気を付けていたのに。翌日から強化試合。+500グラムまでオーケー。500は落とさなければ。しかし、もう夜、地理も分からない。仕方ない。会長に謝りに行くしかない。「すみません、体重が落ちません。明日の試合は無理です」「馬鹿者‼ 今からロードやって来い‼」「でも道が分かりません」「 馬鹿者‼  真っ直ぐ行って、真っ直ぐ戻って来い‼ 地理もクソもあるか‼」。言われた通り、ホテルの外に出て真っ直ぐ行って、真っ直ぐ帰って来た。部屋に入ると暖かさで汗が出て来た。しめた‼ 風呂を締め切って暑い湯を出し、サウナのようにして、浸かった。汗が出た。長いこと風呂にいた。気が付けば外は白みかけていた。秤に乗った。体重が落ちていた。試合へのめどがついた。少しの時間まどろんだ。試合の方が楽だ。八田さんの言葉で何か一皮むけたような気がした。

☆八田語録の続き☆ アマチュアレスリングの取材はすぐに楽しくなった。八田さんが言ったように、他社はオリンピックが近づかないと選手に近づくことがほとんどなかったから、いつ誰を、どう取材しようと、自由だった。監督、コーチといった人たちは一様に大事にしてくれた。練習後はそのまま飲みに行くことも少なくなかった。酒の席でも、八田語録はポロポロ出ていた。※明日からパン食⇒「会長、海外遠征は米が食えないので力が出ません」と言った選手がいた。八田さんは「馬鹿もん‼ 明日からパン食にせい」と一喝。合宿の朝食時、テーブルにはパンが並んだ。左で食べろ⇒「左でも技が出せるようにしておけ」と八田さんの号令。「右利きなので、なかなかうまくいきません」と某選手。「馬鹿もん‼ 明日から左手で食べるようにせい」と一喝。即、次の食事から、左手で橋を使うことになった。女を横にしろ‼⇒東京オリンピック後、八田さんは花原さんをはじめ、活躍した選手たちをねぎらいつつ、新たな指令を? 出した。「これから日本のレスリングは中菱級、重量級でもメダルを取れるようにしていかなければならない。そのためには君たちが大きい女性と結婚して、体格が大きく運動神経の良い子どもを作ることだ。例えば女子バレーの選手などどうだ?」「先生、サイズが違い過ぎます」「何⁉ 横にすれば同じことだ!「ン⁉」

☆八田イズムに触れた‼☆ 1978年、夏も終わ頃、どこかの合宿で八田さんと雑談した。「今年の世界選手権はメキシコシティーですね。高地ですが、何か特に?」「そうだねえ、みんな同条件だから、強い者が勝つ」「マラソンとか水泳とか、高地トレーニングとかやりますよねえ」「そうか、じゃうちは無酸素合宿やるか」「えッ⁉ ほんとですか?」「おお、やろうじゃないか」と八田さん。数日後、府中の航空自衛隊で、無酸素合宿は敢行された。パイロット用の減圧訓練室で、低酸素状態を体験したのだった。もちろん写真入りで紙面を割いた。タイトルは「メキシコ用無酸素合宿」だ。本番ではフリー52キロの高田裕司(当時日体大。現専務理事)が四連覇。57キロ級の富山英明(当時日大。現日大教授)が初優勝を飾った。この後、体協だったか、たまたまトイレで八田さんと隣同士になった。「白石君、来年の全日本、何か客を呼べるような仕掛けはないかね?」「会長、それだったら女子プロ呼びませんか。マットですが、エキジビションということで」「おッ出たね、それいこうか?」「じゃ書いていいですか?」「おお良いよ」「アマレス全日本に女子プロ出場‼」。結構大きく紙面を割いてぶちかました。反響もあった。確か、昔の東京都体育館で、女子プロは赤城まり子さんが来たのではなかったか。観客も結構増えた。「やったね、白石君」八田さんは嬉しそうだった。また、昼から飲んでたようだった。