on the PGA TOUR,hey yellow JAP!!

☆テキサスからの宣戦布告?☆ PGAの異端児オグレデイ。こっちもトウスポの異端児だから、馬が合ったのかもしれない。知り合って二年目の、1984年のヒューストン・オープン。オグレデイは練習ラウンドから、何時にも増してショットが切れているように見えた。トム・ワトソンもセベ・バレステロスも舌を巻いていた。ワトソンはこの年、体の回転スピードが落ちたのか、コントロールの外に出るフックに悩んでいた。夕方、誰もいなくなったドライビングレンジで、師匠のバイロン・ネルソンが付きっ切りでアドバイスしているシーンを何度も見た。オグレデイは初日から好位置をキープ。予選ラウンドを上位でゆうゆう通貨した。この夜も一緒に食事をした。「あのさあ、俺がPGAの公式インタビューに呼ばれたら拒否するから。白石だけには話す。それをメモしてアメリカ人の記者に渡してくれないか?」。この大会はトム・ワイスコフ設計のコースで行われていたが、この事もオグレデイは公然とこき下ろしていた。「こんな、いもコース作りやがって、ワイスコフも銭ゲバだな」。内緒話ではない。公然と。普通、出場選手は総じて、「こんな素晴らしいコースでプレーできて幸せだ」とヨイショする。オグレデイはこれにも反発していた。コースに入った時から、私とオグレデイは、何か分からないが、アメリカを敵に回しているのではないか、そんな空気を感じていた。

が☆遂に激突‼☆ 1984年のヒューストン・オープン三日目、オグレデイはおれよあれよという間にバーディーを重ね、63のコースレコードで首位に立ってしまった。18番をオールアウトして、クラブハウスへ向かう。PGA広報部長のトム・プレイスが待ち構えて、「マック、インタビューに来てくれ」と。「ノーノ―、話す事はないよ」オグレデイは足早にロッカールームへのドアを開けた。NBCのテレビも追った。レポーターが何かまくし立てている。「何ということでしょう。首位に立った選手がPGAの公式会見を拒否しました」。呆然と立ち尽くすPGA関係者。……と、オグレデイが消えたドアが開かれた。何と、オグレデイ自身が手招きしている。「俺か?」と、確認した。「そうだ」とうなづいている。私は足早にそのドアからロッカールームへ滑り込んだ。このシーンをNBCテレビ、AP通信、地元の新聞社のカメラが抑えていたのは明白だった。「面白い、やってやろうじゃないか」これもネタになる。トウスポ流のニュースは作るってやつなのだ。

☆yellow Jap!!☆ ロッカールームに入った。クレイグ・スタドラ―が「やったな。思い通りにやれよ。陰ながら応援しているよ」と言いながら、アイスボックスのバドワイザーを集めてビニール袋に入れ、引き揚げていった。意外にしっかりしているんだ、と思った。さて本題。オグレデイと差しで向かい合って、聴き取りを始めた。米国人記者に話したくない理由は、これまで事実でもないプライベートの部分を面白おかしく書かれた事。許せない部分が多々あるという。18ホールのプレー内容に本人の言い分を書いた。それをプレスルームに持って行って、PGA広報部長のトム・プレイスに渡した。「良かったら、これを使ってくれとオグレデイが言っているんだけど……」と言った瞬間、トム・プレイスのこめかみに青筋が立ったのが分かった。「日本のプレスにこんな事される覚えはないんだよ。ここはテキサスだぜ。君はどういうつもりで」と。相当頭に来ている。顔を潰された、ということだろう。トム・プレイスの背中の方で、”fucking yellow jap”の声が聞こえた。さすがにこちらも、「何だこの野郎、人が親切に言ってるに」と出かかったが、そこはこらえて、「いや、私はオグレデイの代弁をしただけだ。彼はロッカールームで待っているから、行って、直接話を訊いてください」と言った。トム・プレイスはロッカールームへ走った。20分ほどして戻って来た。私のデスクに来た。「申し訳ない。言い過ぎてしまったかもしれない。許してくれ」と。そしてマイクを取ると、「皆さん、色々誤解があったかもしれないが、東京スポーツから来た白石のメモを準公式としてコピーを置くので、使いたい人はどうぞ」。「だから、最初から言ってんじゃねえか」と叫びたくなった。地元の新聞社の何人かのカメラマンが私を撮りに来た。トム・プレイスがまたやって来た。「来週はさあ、コロニアルだろう? 一回ゴルフしないか? うまくいけば、ベン・ホーガンのインタビューもヘルプできるかも……」。何か、PGAとトウスポがタメになったような気分だった。


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