on the PGA Tour with maverick Mac O’grady

☆異端児マック・オグレディ☆ 1984年のヒューストン・オープンで事件は起こった。取材記者の立場でいた私がその中心にいた。この頃、PGAは一人のアメリカ人選手に手を焼いてもいた。その名をマック・オグレディ。この前年、こちらが一人でPGAツアーを取材しているときに、知り合った。奥さんが日本人、本人も日本の文化にのめり込んでいたこともあって、すぐ仲良くなった。オグレデイは右打ちの選手だが、左でも同じようにプレーできる特異な才能を持った選手だった。しかも、当時はパーシモンにスティ―ルシャフトの時代。オグレディはドライバーのヘッドを逆さにして、左で28oヤード飛ばした。当時ではトップレベル。この技を時々見せてもらった。一度はマスターズ翌週のヘリテイジ・クラシック。ヒルトンヘッドアイランドの18番。セベ・バレステロスとの練習ラウンドで解説しながら、技を見せてくれた。あの、テクニシャンと言われたバレステロスが、口をアングリさせて、無言だった。ちょっとして小さな笑いを浮かべながら、「何なのそれ?」とつぶやいた。 「俺さあ、全米オープンに右と左の両方でエントリーしようかと思ってんだけど、どうかね?」と、時々、こんな事を言っていた。この人ならやりかねない。何かトウスポと共通点がありそうだな。お付き合いが楽しくなっていった。時々ゴルフも教えてもらった。他の選手がいないと、こっちも練習ラウンドでプレーさせてもらった。内緒でね……。

☆予選落ちは続く☆ オグレディと知り合って、日本選手のいない時はほとんど一緒に行動していた。並外れた才能があるのに、瞬間湯沸かし器のような性格が災いしてか、たった1ストロークなんて感じで予選落ちも少なくなかった。予選に落ちれば賞金はゼロ。経費は持ち出し。翌週に参加するためにもアルバイトが常だった。非公式のお座敷。仕切りのうまい選手が、例えばサム・スニードの甥のJCスニードなんて選手が、予選落ちした選手に声を掛けていた。次の試合地の近くで、大抵月曜日に行われていた。小金持ち相手のお座敷ゴルフ。行けば750ドル。次の一週間の経費が稼げたのだ。私はオグレデイを含めて”プロアマ”に出る選手の奥方を自分の車で空港へ連れて行き、同じ飛行機に乗って次の試合地に飛び、その空港からレンタカーを借り、奥方を2~3人同乗させ、宿舎へ運んだ。時には飛行場のカウンターで、あるいはモーテルのフロントで、明らかにあらぬ想像をしているのがありありと感じられることもあった。……秋口の試合、二日目の18番、久々に予選を通るかと思っていた。2打ほど余裕があった。ところが……池越えのショットが会心の当たりでピンに向かって行った。池を越え……ヨシッと思った瞬間、ボールは池に張り出た木の小枝に触れて、池に落ちてしまった。おーノー、無情だ、トリだ……。またしても、絵に描いたような”一打足りず”であった。

☆呪われたオグレディ⁉☆ オグレディは何かに呪われているのか? そうとしか思えないような不運に見舞われる。日本なら、すぐにお祓いに行くところだ。この時は、すぐには声を掛けることができなかった。遠目で見ていた。奥さんのF子さんと言葉を交わしていたが、時折オグレデイが頭を垂れ、F子さんは目を抑えていた。泣いている。放っておけなくなって、近寄った。「残念だった。また頑張ろうや」と言うと、F子さんは「この人ったら、どうしようもないのよ!」「予選落ちは残念だったけど、また頑張れば……」「いえいえ、ゴルフはしょうがないとして、キャディーにお金を盗られちゃったのよ!」「エッ⁉ いくら⁉」「500ドルよ!」「本当ののか、マック(オグレディ )」「面目ないけど、本当なんだ。キャディーバッグに入れておいたんだ」。PGAでもLPGAでもキャディーとのトラブルは時々ある。

☆あわや夫婦心中⁉☆ さてさて、ヒューストンにも陽が落ちた。いつものように夕飯のお誘いコールを入れようか? まだ落ちこんでいてそれどころではないか? 迷ってみたものの、ともかくオグレディの部屋に電話を入れた。話し中。10分ほど待ってかけた。また話し中? いやまだなのか? 先ほどのトラブルに関係して、長電話になっているのだろうか? 夫婦で何か? こちらが入らない方がいいのかもしれない。フロントにメッセージを置いて前夜も行った。中華レストランに行った。中華なら米が食べられる。オグレデイも米愛好家だった。ビールを飲んでゆっくり食べた。オグレデイ夫婦は現れなかった。モーテルに帰った。気になる。オグレデイの部屋に電話を入れる。また話し中? いやまだなのか? 何か変じゃないか? 部屋へ行ってみるしかない。ノックした。ドアが開いた。まずはほっとした。F子さんは明らかに泣きはらした顔だった。オグレデイはパームスプリングスの友人と話していると言った。ひょっとすると、スポンサーに無心でもしていたのだろうか? 「あんたたち、夕飯は?」。F子さんは力なく首を横に振った。「だめだよ、食べないで悩んでいたって、身体によくないぞ! 今晩は私が厄払いをしてやるよ。私の招待を受けてくれ。夕飯に行きましょう!」。二人を急き立てるようにして車に乗せ、近くのステーキハウスに行った。こういう時はきっかけが必要なのだ。「厄払いだから、私はあんたの代わりに飲むよ。二人は食べてください」。二人はステーキを食べだした。一口ごとに生気が戻って来ているようだった。「マック、気分転換をうまくやれれば、絶対チャンスが来るよ」「そうなんだ。ロスの大学にいる心理学者の友達にも、その事をアドバイスされているんだ」「この人ったら、考えが真っ直ぐ過ぎて、瞬間湯沸かし器みたいになっちゃうんだから」。オグレデイはPGAの組織をも批判して、コミッショナーのディーン・ビーンマンもこき下ろし、ペナルティーを食らったりしていた。私はいらぬ神経を遣わぬが花……と飲みながら、お説教していたのだ。「そうかもしれない」オグレディは苦笑いしていた。F子さんの涙は消えた。ヒューストンの夜は様々な物を飲み込んで更けていった。 

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