モハメド・アリに独占直撃‼

ミュンヘンへ飛べ!

☆無謀‼ アリをつかまえろ☆ 1976年4月中旬、例によって、上司の桜井康雄デスクから、「ちょっと来い」のサインが飛んで来た。桜井さんは新日本プロレスのマスコミ側の顧問的存在だったから、この年の6月26日、「猪木vsアリ戦」の煽り仕掛けをいくつも進行させようとしていた。この前にアリは西ドイツのミュンヘンにおいて、5月24日、英国のリチャード・ダンとのヘビー級王座防衛線の予定になっていた。「アリをミュンヘンでつかまえてみっか?」「直撃インタビューですか?」「おつ!  話が早くていいな。どうだ、やれそうかな?」。隣で話を聴いていた、ボクシング担当の先輩記者Hさんが、割って入ってきた。ボクシングの取材は俺でなければ、英語が絡めば、俺でなければ……という”人柄”だった。「ようよう、桜井、まだ小僧だろ、行ったって相手にされるわけがないよ」。今度はいろいろなスキをついて上に登っちゃった感のあるWなる人物が来た。「そうだよ。高い経費使ってできませんでした、じゃ困るよ。え~」。お次は全日本プロレスの中継でお馴染みの山田隆デスク。「白石なら、ガッツで何とかやってくるでしょう。やらせましょう! 放送の12チャンネル(テレビ東京)のスタッフにも、それとなく流しておきましょう」。……ということで、5月10日頃だったか、ミュンヘンへと向かった。カメラマンは田中章氏。もう一人、助っ人で、と文化部の記者で先輩のSさん。取材の助っ人、身体が空いたらカンヌ映画祭の取材に行け、という結構乱暴な作戦指令だった。

☆大物アリをつかまえられるのか?☆ 我ながら、少々心配だった。ミュンヘンの試合会場(五輪の自転車会場となったベロドーム)、プレスセンター、ぐらいしか予備情報はなかった。例によって、資料は隠された可能性があった。これは後日判明した。飛行機の中であれこれ考えていたが結論が出るはずもなく、南回りのパンアメリカンはフランクフルトに着き、乗り換えてミュンヘンへ入った。ホテルの予約もなし。何だか、こんなことに慣れてきていた。飛行場からミュンヘン駅までタクシーで行った。そこの観光案内所でホテルを探してもらった。なるべく街の中心。アリの試合があるから、どうかなと思っていたが、さほどの事はなく、すぐに朝食付きで一人3千円ほどの宿を紹介してもらった。なんだ楽勝だね! 文化部のSさんはあっけにとられていたが、ここまではうまくいった。ほっとした。全英オープンゴルフの宿探しの地獄に比べたら、大楽勝だった。

☆アリの追跡開始☆ ミュンヘン到着翌日から動いた。英字新聞を買って、アリ関係を拾い読みして、基本情報を集めた。アリ一行はどうやら市内で一番高級なウォルドフ・ホテルに宿泊しているようだった。ウォルドフと言えば、全英オープンの取材時、ロンドンに前泊のための予約したホテルに泊まれず、苦闘の末、辿り着いたことのある因縁? のホテル。これも何かの縁かもしれない。まずはプレスセンターへ出向いて、名刺を出して仁義を切った。「申請がまだ届いていないけど、仮のパスを出しましょう」と事務局は親切だった。世界的なイベントである。取材申請は必要である。しかし、そういう物を東京で目にしていないので、ピンときていなかった。それは後日判明するのだが、先輩の机の引き出しにしまわれていたのである。

☆アリの取り巻きを狙え☆ アリの宿泊していると思われるウォルドフ・ホテルは幸い、こちらの宿から歩いて通える距離にあった。いつでも張り込める。プレスセンターで仮の取材証をもらった我々は、スパーリングの取材に行った。そこは市内の小さな劇場だったように記憶する。観客席があって、舞台にリングが設置されていた。そう、アリのスパーリングは一般には有料だったのだ。例によってダンスのようなステップでリングを動き回った。時々、「flaot  like a butterfly, sting like a bee(蝶のように舞って、蜂のように刺す)」の名文句で知られる、”カエル頭”のバンディーニ・ブラウンが、「タイム‼」と甲高い声をあげていた。その横では、シュガー・レイ・レナードを育てた名トレーナー、アンジェロ・ダンディーが黙々と無駄のない動きで、アリのケアをしていた。スパーリングの最後はアリのワンマンショーだ。「リチャード・ダン? 何者だ? 俺のビューティフルな顔には指一本触れさせない。3ラウンドでも立っていられたら、褒めてやるさ」。有料の観客から拍手が起こると、アリはさらにテンションを上げた。節々の合間には必ずブラウンの合いの手が入っていた。一段落したところを見計らって、私はアンジェロ・ダンディーに近ずいた。「日本の新聞社です。六月の猪木戦にも関係している新聞社です」。ダンディーはにっこり笑って握手を求め、「よろしく頼むね」と。私は「10分程度で良いので、アリにインタビューさせてもらえませんか?」と頼み込んだ。「良いね。でもそれは俺の仕事じゃない。待ってて」と言って、お付きの男を連れてきた。バリっとしたスーツに銀縁の眼鏡をかけていた。

☆アリに会わせて‼☆ アンジェロが紹介してくれた人物は、押し出しもなかなかでただの取り巻きではないことは確かのようだった。今から、色々な資料に照らし合わせて見れば、黒人弁護士のチャンシー・エスタリッジだったか。ともかく、懇願するように、「アリに10分でもいいから会わせてくれないか」と。「東京から来た? 猪木戦……何とかするから、夕方にホテルへ来てくれ」。「Thank you so much, see you at Woldof 」。やったぞ! 一度こちらの安宿に戻り、軽食を取って、夕刻、カメラマンとWoldof Hotelへ出かけた。玄関で待った。アリの取り巻きと思われる人たちは何人も出入りしていく。しかし、昼間の約束の相手は現れない。仕方なく、というか、早く大物を釣りたい一心で館内電話にチャレンジした。フロントで、「アリの部屋は何番ですか?」などと馬鹿な質問もした。当たり前だ。教えるはずがないだろ、と頭の中で、誰かの声が聞こえたようだった。先輩の顔も浮かびかけた。「アリだぞ、若造じゃ無理に決まってるさ」。ヨシ! 館内電話をかけた。「こちらは東京から来た記者で、アリとインタビューの約束で来た。つないでもらえないか?」。と言ったって、オペレーターがつなぐはずもない。またまた、馬鹿な事をやったものだった。しばらく待った。お目当ての人物は現れなかった。

☆頼むからアリに会わせて☆ 翌日の公式練習でお目当ての人物をつかまえた。「昨日ホテルに行って待ってたんですけど」「えっ、じゃ時間が間違ってたんじゃないか?」「今日の夕方是非お願いします」。腕を握った、「Yes」と言うまで話すつもりはなかった。黒人の紳士は「うーん」と言いながらも、「じゃ、ホテルの玄関に夕方7時30分に会おう。時間を間違えるなよ」。やったぞ! カメラマンと私は約束の1時間前、6時30分にはWoldof Hotelnoの玄関に立っていた。今日こそは。冗談を言う余裕は全くなく、ただ緊張して、汗ばんでいた。待つこと1時間、紳士は現れた。「おー、今日はいたな」「いや昨日もいたんだけど」と言いかけたが、呑み込んで、「いや、感謝します10分程度でOKですので」「アリが終わり、と言ったら、そこまでだ」。紳士の案内で非常口のようなドアから、スタッフ用のエレベーターに乗り、3階で降りた。そして、これまた非常口のようなドアを抜けてアリの部屋に案内された。おー、入ったぞ。と思った瞬間、左手のソファーでくつろぐアリの姿が飛び込んできた。真っ白なガウンを着てくつろいでいた。カメラマンの田中は早くもシャッターを切り始めていた。東京での猪木戦のこともあって来たことをまず告げた。「そうか。東京は二回目だから、楽しみだ。猪木のビッグマウスもきにいらないしな」アリはそう言ってウインクして見せた。「今回の防衛戦はどうでしょう?」「コンディション格別良いというわけじゃないが、チャンピオンで東京へ行かなきゃだめだろう? I’ m the greatest!」。「プロレスの猪木とどう戦うのでしょう?」「I’ m the greatest!! 東京へはダンスをしに行くんだ。いいか猪木!」アリはそう言って立ち上がると、シャドウボクシングを始めた。この後少々話を聴いたところで30分。お付きのような男が現れて、客が来ている、と。遂にグレーテスト・アリをつかまえて直撃インタビュー。その夜、原稿を仕上げて、翌朝、ミュンヘンの空港から、飛行機便で撮影フイルムと共に送った。二日後、トウスポは大々的に、”モハメド・アリに直撃インタビュー”を報じた。当然他紙を圧倒したわけである。ほっとしたどころではない。もう、どこでどう遊んでも許されると思った。田中カメラマン、助っ人の文化部の先輩、打ち上げはかのヒットラーが大演説をぶった、ばか広いホーフブロイハウスだった。戦後は人気No1のビアホール。本場の生ビールは格別だった。

☆アリ世界戦での事件☆ アリの直撃インタビューに成功。後は「アリvs リチャード・ダン戦」そのものの取材。気分的にはおまけのようなものだった。本番の二日前、記者証の配布が行われた。我々も指定された場所に行って列に並んだ。番が来て、名刺を出して「東京から……」と、受付の女性に。「ちょっと待って」とカードを探しにかかったが、見つからない。「申し込みされてますよね?」「えっ⁉」「こちらから、あらかじめフォームが行っていると思うのですが?」「そんなものは無かった……」。押し問答になって埒が明かず。脇に外れて待つことになった。別のプレス担当の女性が来て、同じような話になった。また押し問答……女性が泣きそうになりながら、声を振り絞って、「Tokyo Sports Press ですね?」と再確認して席を外した。2~3分すると、件の女性が体格の良い中年男性を連れて戻って来た。「Tokyo Sports Pressだって? そうか、こっちで話そう」と。この人物は西ドイツのプロレス界の大物、グスタフ・カイザーだった。「アリvs リチャード・ダン戦」のどこかで、仕切りに関わっていたようだった。「事情は聴いた。記者1名、カメラマン1名で良いのか?」と言って記者証発行ブースへ行って、手配してくれた。「good luck!」。ありがたい、助かった。プロレスのトウスポにいながら、カイザーと会ったのは、この一度きりだった。……1976年5月24日「アリ vs リチャード・ダン」、試合開始は午前3時だった。アメリカのテレビが莫大な放映料を払っている。現地の観客はそっちのけ。ニューヨークの午後八時前後のゴールデンタイムに合わせているのだ。2020年の東京五輪。JOCや一部政治家が税金をばらまいて、拝むように開催にこぎつけて、有頂天になっている。しかしこれとて、アメリカのメジャースポーツのシーズン谷間のスケジュール。東京の真夏。戦う選手も観るお客も、ある意味命がけ。テレビは盛んにお祭りムードを盛り上げる……考えるほどに妙な話だ。話は横道に逸れた。「アリ vs リチャード・ダン」、午前3時のゴング。何だかぼーっとしながら観ていたような気がする。ダンのパンチは軽い。アリは適当にかわして余裕しゃくしゃく。案の定5回でTKO勝ちとなった。会場の外の出ると、夜が明けかかっていた。それほどの余韻も残らず、地下鉄で安宿に戻った。

☆カンヌの特ダネ☆ 助っ人で来ていた文化部の先輩Sさんも奮戦した。ミュンヘンのアリ関係では、インタビューが成功したところで、二人でカバーする必要もなくなった、と感じた。そこで、当初、おまけのおまけのような取材課題だった、カンヌ映画祭に行くことを勧めた。ミュンヘンから飛べばニースまでは2時間弱。カンヌに行けば、顔見知りの映画関係者がいるという。根城の安宿から、日本人映画関係者が止まっていると思われるホテルに電話を入れた。運良くつかまった。現地でのヘルプを頼むと、二つ返事で引き受けてくれた。翌日、Sさんはミュンヘンの空港から、ニース入り。ちょっと心配もしたが、見事、大物俳優のグレゴリー・ペッグを釣り上げた。これも後日、大々的に紙面に掲載した。少々、鼻高々で、酔うと自慢話になっていたが、これで良かったのだ。

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